「コードブルー、コードブルー!○○病棟」この放送が2回流れたとき、僕は外来診療中だった。今は外来中だから行けない。自分が行かなくても、誰かが行くだろう。もし行って自分が一番乗りだったら、いろいろしないといけない。慣れない部署でうまくできるだろうか。でももし、これ、誰もいかなったら、その人は確実に助からない。そうこう思いめぐらせている間に勝手に体が動いていた。これが本音かもしれない。
病棟まではわりと遠かった。渡り廊下を渡って別の棟へ行き、エレベーターは使わずに階段で登った。最近の運動不足からか、階段は結構辛かった。でもあとドア一つ開けたら病棟だ。
病棟へ通じるドアを開けるとそこにはいつもの救急の現場の雰囲気はなく、ざわざわとした話し声とともに大勢の医師、看護師がこちらに向かって歩いてきた。
「終わりましたー」と。
結局すぐに問題解決されて、平穏無事が戻ってきて、僕も彼らと一緒にわらわらと帰ってきた。帰り際にエレベーター前で待っている医療スタッフを見かけて、「終わりましたよー」と言いながら。
この病院もまだまだ捨てたものではない。自分よりも前にこんなに大勢の医療スタッフがいて、自分の後ろにまだ大勢のスタッフが集まろうとしていた。そんな風に思えた光景だった。
呼べば答える。「コードブルー」のたった一言で、科は違えど、職種は違えど、同じ方向に気持ちが向く、同じ心を感じた。
過去に自分も「コードブルー」をかけたことがある。生後2か月の子供さんを検査に連れて行った時に鎮静剤が多すぎたのか、検査途中で呼吸が止まった。もちろんすぐそばに自分は着いていたので、すぐに呼吸補助の対応はできたが、もしものことを思ってすぐに「コードブルー」をお願いした。その直後、100人くらいのスタッフが集まってきた、気がする。実はその時僕はその子を助けることで必死だった。僕の判断が悪かったのか。上級医に怒られるかも、とか。そんな中で「嶋寺、大丈夫か!」とかけられた言葉が今よみがえってきた。彼は僕の同期で今も京都府立に居る。おそらく彼は今度教授選に出るだろう。そう、彼はコードブルーの時いつも走って、誰よりも速く走って、誰よりも早く現場に着いていた。その光景を今思い出したところである。
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