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「嶋寺は使えない」

  • 執筆者の写真: Shinichi Shimadera
    Shinichi Shimadera
  • 3 日前
  • 読了時間: 2分

私は下積み時代によく「嶋寺は使えない」とよく言われた。しかし、自分で言うのも何だが、決して「使えない」医師ではなく、「使いにくい」医師だったと思う。

研修医時代から小児外科医になりたくて、なのに小児外科のない滋賀医大外科医局に入り、そこから自分勝手に国立小児病院にリクルートし、医局人事には乗らず、3年で飛び出し、帰ってきたと思ったら1年で京都に転局。その後、一旦は京都の医局人事で滋賀に異動したが、その次は開業して岐阜に来た。

学生時代、卒後自分が進む科を決めるのに、何故か私は小児外科を選択した。自分の大学には小児外科はなかったので、当時一人で小児外科を担当しておられた先輩医師を訪ねると、紹介状を書いてやると言って、すぐさま国立小児病院を訪ねた。すぐには専門研修は叶わなかったので、まずは一般外科の道へ進み、唯一の小児外科担当の先輩に付き従い、寝食を共にして、その先生の全てを吸収した。その後足繁く3年間に3回門をたたき、ようやく国立小児病院の研修コースを執念で獲得した。

その後滋賀医大に帰って来てはみたが、次のステップへ上がりたくて、長年付き従って来た師匠の元を離れて、京都へ移った。その時は次なる師匠に出会い、小児外科医としての一挙手一投足を直された。尊敬してはいたが、今で言うハラスメントがキツく、滋賀へ、そして岐阜へと逃げて来た。逃げたと言っても、滋賀へは歴とした人事異動で、その後教授が変わり、次期教授には仕える義務はないと判断し、ディスタンスを取って岐阜で開業した。

医者の人生とはこんなものである。師匠に仕えては離れ、目標を定めては今の組織から縁を切る。組織に馴染んでる間はとても使えるが、自分で目標を定めた後は突然逆行する。かけて頂いた恩を仇で返すつもりは毛頭なく、地域や国に返しているつもりではある。決して医学会から離れるつもりはない。

下が暴れ馬なら上は器を大きくなければならない。下は下で良いじゃじゃ馬は上を試す。「嶋寺は使えない」発言は上の器の小ささの露呈かもしれない。そして移る時は次の指導者を見つけた時なんだろうと思う。

そんな「使えない嶋寺」にはそう発言してきた諸先輩方の指導の履歴が刻まれている。それを武器に今も日々病気と闘っている。指導者の指示に従って。


「千里馬は常にあれど、伯楽は常にはあらず」

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