ある患者さん(小児)のことで親さんから相談を受けた。A病院で診断を受けたのだが、治療方針に納得がいかずセカンドオピニオンで相談された。
親さんは手術をするならば、とにかく傷をきれいにしてほしい、先生なら小さい傷でできますよねという。ところが私の見立ては、悪いところを治す(根治手術)のが一番、傷は二番だった。もちろん両方大事なので手術をする際は傷の場所と大きさには常々気を配っている。しかし、ここに傷を作ってください、この傷から手術をしてください、というのはお門違いである。
もちろん手術に傷はつきものであり、最適の場所に、最小限の傷で治療をするのが外科医の力量ではあるが、「Good Surgeon, Great Incision」ということわざが英語圏にあるように、傷の美しさを最優先に考えすぎて、手術が不十分になったら元も子もない。そう説得したのだが、果たしてどう映ったか。
信頼して相談してるのに、無下にあしらわれたという印象なら残念である。
「前医を否定してはならない」大学病院時代にそう教えられた。もちろん余程の間違いを見て見ぬ振りは出来ないが、自分と家族さんの意見が違えば違うほど自分はこう思うという程度に留めないといけない。悪性腫瘍ならまだしも、小児では良性の疾患が多い。そんな中で家族さんの納得のいく成果を上げるのは時に難しい場合もある。
この患者さんは最終的に大学病院へ紹介され、家族の最も気にしていた「傷」を最優先に考える治療方針と出会い、喜んでお任せされることになった。私としては少々複雑ではあった。
最近自分が正しいと思うことを推し進めることに抵抗を感じることよくある。医療は患者の立場、医師の立場、経営者の立場と様々絡み合ってる。普通に考えれば患者のことを一番に考えて、医師は行動変容するべきで、時には経営は二の次になる。しかし何かの力のバランスが崩れることでそれが逆転してしまい、本末転倒な結果を生むこともある。特にこのコロナ禍ではそれを感じた。
智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。「草枕」の冒頭にもある通り、「智情意」のバランスが肝要だとは思うが、医学は科学である。真実は一つのはずである。
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