こんなことを考えるようになったとは、私もそろそろ歳かもしれない。私は滋賀出身だが、今は岐阜にいる。父は滋賀県の北の方の出身であるが、今は南にいる。嶋寺の本家母屋のおじさんは滋賀出身だが、今は岐阜にいる。しかも関市に。
私は出身大学が滋賀医大だが、医者になってから小児外科の研修は先輩医師の命で東京へ紹介され3年もの間東京生活を送った。その後滋賀医大へ一旦帰ったものの、すぐに京都府立医科大学へ転局して、そこで大学院まで進み、博士号を取得している。その後いろんな出来事、出会いがあり、滋賀に戻り、関へ招かれてきた。
人はその時代その時代で一生懸命に生き、選択選択の連続の上に今がある。そのようなことを常々考えている時に、ひょんな話題に遭遇した。「渡来人はどこからきたのか」日本史の古い知識からは当然、弥生時代に朝鮮半島から日本へ渡ってきたのが渡来人で、大陸から稲作や仏教文化などを日本に伝えた、と思い込んでいた。大陸から来た渡来人は体格も大きい。それまでの縄文人は背も低い。日本は弥生人に取って代わられたぐらいに思っていた。ところが史実はそうではないようである。
遺伝子の分析からは縄文人の一部は朝鮮半島に渡ったようである。そこで現地の人と混血になり、その後再び日本へ戻った。何かお土産を持って。それが大陸文化として今なお伝わっているのではないかとする学説。
人は移動する生き物である。時には何かから逃げるために、そして逃げた先でお宝を見つけては子孫の代でまた戻ってくる。それがUターンのこともあれば、Jターンのことも、そしてIターンのことも。
嶋寺姓をネットで引くと日本で約40人。主には滋賀と岐阜と東京にいるらしい。何の目的のために散ったのか、それは子孫の時代に分かるのかも知れない。何か大きな偉業、お土産を持って、故郷に錦を飾るのかもしれない。
ただ、今、私は関にいる。この地で働き、子育てをし、子供とともに関を岐阜を学んでいる。日々会う人々も、過去に様々な背景を持ちつつ今ここにいるはずである。そんな人々と言葉を交わし、時を過ごし、化学反応を起こし、天命を信じ、天地人から何かを為しえたい。
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