子どもは寂しいと痛くなる
- Shinichi Shimadera

- 2月15日
- 読了時間: 2分
更新日:2月17日
今日も無事手術が終わった。手術が終わって親さんから質問を受けた。「痛くないのですか?」当然の質問だと思う。
皮膚を切開して手術をするのだから、術後はきっと痛いはず、と誰しも思うが、子供さんたちの反応を見てると、痛みが強すぎて暴れている感じはあまりない。もちろん痛み止めを入れてはいるが、それでも完全に無痛ではない。傷を触ると痛がる。しかし何故かしら親に抱っこされていると大人しくしている子がほとんどである。
当院は日帰り手術なので、術後は家に帰る。その後夕方に家に往診させていただくこともあるのだが、その時元気に走り回っている姿をよく拝見する。本当にこの子が全身麻酔の手術を受けたのか?そんな声もよく耳にする。
親といると安心するのか、家に帰ると安心するのか、安心すると薬なんかいらなくなるのか。そんな錯覚さえ覚える。
安心の反対は不安である。不安は痛みの閾値を下げる。つまり少しの痛みでも強い痛みと感じる。その痛みはさらに不安を呼び、悪循環を繰り返す。
痛みは地獄の猛火の苦しみと仏教では聞く。つまり一人で死んだ後、地獄へ行った、そんな過去世の記憶なのか、痛いと大人でも冷や汗をかき、表情は苦悶する。
鳥は孵化してすぐに見たものを親と認識する。人間も必ず親から生まれる。その親は一人ぼっちで生まれた子供に無償の愛を注いでくれる存在である。その力は地獄の苦しみをも凌駕する。痛みは不安、不安は地獄なのであるが、その不安を親は取り除いて安心を与えてくれる。山より高き父の恩、海より深き母の恩。その愛情に守られ、子供は安心し泣き止む。
不安を取り除き、安心を得る方法は他にもある。薬もその一つであるが、薬よりもきっとお気に入りの毛布やタオル、ぬいぐるみなどの方が温かい感触から安心を得ることが出来るのでしょう。そんな理由で当院では感覚統合療法を行っている。
全ての年代で不安の多い現代社会を生き抜くには安心できるものを備える必要があるが、それは地位や名誉や財産ではなく、もっと温かい命の根源な気がする。人生とはそれを探す旅なのだろう。

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