ふしぎな駄菓子屋「銭天堂」をご存じか?
「いらっしゃいませ、幸運のお客さま」
幸運な人だけがたどりつける、ふしぎな駄菓子屋「銭天堂(ぜにてんどう)」。
店の女主人・紅子(べにこ)がすすめる駄菓子は、どれもその人の悩みにあったぴったりのもの。
でも、食べ方や使い方をまちがえると、思わぬ副作用が……!
幸をよぶか、不幸をよぶかはその人次第!
そんなふれこみの絵本形式の読み物だが、その中で「猛獣ビスケット」という話があった。そこに登場する二人の兄妹の話なのだが、その回の主人公は妹なのでしょうが、そのほとんどが兄の話で、妹の話はほんの少ししか出てこない。
妹はいつも兄のいじめにあって困っていたところへこの銭天堂へ迷い込んであるお菓子を買った。ところが兄には売ってくれなかった。自分の方がお金も持っているのになぜだ!でもあるお菓子がどうしても欲しかった兄は、とうとう、盗んだ。その後当然悪い報いが兄に襲いかかるのだが、それを解決してくれたのは妹であった。妹の買ったリングキャンディーは呪文を唱えると怖いものを吸収してくれる指輪だった。そして吸い込めば吸い込むほど甘くなる。そこで一言、「今度怖い話をしたらお兄ちゃんのことも吸い込んじゃうかも」と。怖いセリフのあと、最後のまとめが、
宮木恵美。七歳。平成十三年の五十円玉の女の子。
宮木信也。九歳。おまけの男の子。
何と毎日毎日いじめる兄は「おまけ」だった。だがこの意味が分からない。戒めなのか、本質なのか。
人生にとって、自分は主人公で、自分の回りはすべて「おまけ」なのか。そう考えると会いたくない人にも会わないといけない怨憎会苦は少し楽になるかもしれない。ただ「おまけ」に一喜一憂することも多い。先日息子がどうしてもほしいハッピー○ットのおもちゃがあるのだけど、どうしても最後の1つが当たらないと嘆いていた。嘆くどころか、半泣きだった。そんなことで落ち込むなという感じだった。第三者にとってはどうでもよいことが、本人にとっては重大事件であることはよく経験するが、所詮「おまけ」なのである。
ただこの「おまけ」が人間だとやっかいである。人間は言葉を話すから。人は一人では生きていけない。誰かと一緒に生きていかなければならない。最期は一人で死ぬのかもしれないが、それまではずっと誰かと共に生きる。両親なくしてはこの世に生を受けてないし、朋なくしては人生歩めない。その誰かの話す言葉に心は左右され、気持ちが上がったり、下がったりする。もうこれは「おまけ」レベルではない。それでも銭天堂の店主は例の兄を「おまけ」と称した。
ハッピー○ットのおもちゃが言葉を話したらきっと売れないことだろう。「おまけ」はおまけらしくあるべきだと思うから。
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