マスクを外すことを連日話題に挙げているマスコミ報道だが、当然のことながらマスクを外すことと感染対策は真逆のことであるから、この二年半にわたるコロナとの戦いの中で大人も子供も迷いが生じている気がする。
毎日コロナ疑いの患者が外来を訪れる。昨日は38度で今日は平熱、元気ピンピン。それでも心配だからと検査をしてコロナ陽性。陽性なら保健所に報告、通ってる学校、幼稚園は学級閉鎖、行事は延期となる。
そんなことの繰り返しの中で、熱中症が怖いから、今のオミクロン株は重症化が少ないから、外ではマスクを取りなさいと小学校では指導する。この新型コロナは子供には何故かうつりにくい。うつっても重症化しにくい。そんなことはとうの昔に分かっていたことで、今さら何を言ってるのかという気がしてならない。でも本気でそう思うのならそろそろ新型コロナを二類から外してほしい。二類である以上は私達医師は報告の義務があり、保健所はその詳細を追求して、隔離をしなければならない。
では他に二類感染症には何が含まれるのでしょうか。結核、ジフテリア、SARS、MERS、鳥インフルエンザなどが現在の感染症法では含まれており、確かにこれらは感染者が出ればニュースになるし、罹患率も致死率も高い。絶対に蔓延させてはならない。
ところが新型コロナは今までの総数で見ても岐阜県での患者数は全県民の5%に過ぎない。2年半経って、最近ではオミクロン株が感染率が高いと言われても、患者総数はたったの5%。これは本当に流行していると言うのでしょうか。
インフルエンザの流行期、学校で一人熱を出したら、その両隣の子も発熱することはよくある。毎年冬はあちこちで学級閉鎖になり、かかっても「解熱後二日」という法則で出席停止は自動的に解除となる。保健所に報告の義務はない。インフルエンザは五類である。専門家はインフルエンザと新型コロナを比べてはならないとよく言うが、その理由はタミフルがあるからだといつも言う。治療薬がある疾患と比べるなと。
では麻疹はどうか。麻疹も流行すると困る。麻疹は空気感染で、同じ部屋で過ごしただけでうつると言われるほどの感染力だ。治療薬はない。ただそれでも五類。
マスクの議論の前に二類から外して、届出義務を外してほしい。でないとこの犯人探しは終わらない。
マスクを外して、感染したら、マスクをしてなかったからだと言われかねないまだこのご時世、安易に子ども達に外せとは言い難い。マスクを外せば熱中症にならないのか、マスクをつけていると熱中症になるのか。そもそも熱中症はコロナよりも怖いのか。一体どちらが多いのか。子供はコロナでは死なないが、熱中症にかかると死ぬのか。マスコミの話を鵜呑みにすると何が真実なのか見えなくなってしまう。これではまた新型コロナの第一波の時と同じになってしまう。
教室の外では外して、中ではつける。そんな臨機応変の着脱を子供の判断で果たして正しく出来るのか。防護服でも着脱の時に感染が起きるから、手順を練習しないといけない。医療ではそう習う。なのに、それを子供にさせるのはどうも合点がいかない。もはやマスクはこの新型コロナの対策には関係ないとでも言いたいのだろうか。
アメリカは合理主義社会だ。ワクチンも費やした予算でどのくらいの患者が救われて、結果的にどのくらい国民総生産(GDP)が上がるのか、そのバランスで価値を判断する。副反応で何人犠牲になろうが、結果的にGDPが上がればよし。合理主義とは非人道的でもある。
日本はその点違う。ワクチンの犠牲者は0でないといけない。少数派にも耳を傾けていける、それが日本人の良さであるはずだが、生きていくにおいて絶対はない。室内でマスクをしててもコロナにかかる時もあれば、室外ではマスクを取ってもコロナにかからないとも言い切れない。
だったらマスクを取る取らないの大雑把な教育方針だけでなく、取るならなぜ取る、つけるならなぜつける。着脱の方法も学校で教えて、つけるならば正しくつける。そういう標準予防策まで徹底して教え、家庭でも実行する。そうすることでこの2年間の学びをプラスに変えていかなければ、この新型コロナからの学びはなく、単なる負の財産となるだけである。
日本が先進国の中で特別コロナ死亡が少ない理由がもしこのマスク着用に隠れているのなら、最後までこのマスクを外さない国民性に誇りを持つべきである。そして、中途半端なマスク着用は慎むべきである。
最後に一言、新型コロナという病気はもう変わってしまったのではないですか。第一波の時に比べれば株も違えば、かかる年齢層も変わり、体内でのウイルスの挙動も変わってきたはず。ならばそれにふさわしい分類を示して、トップダウンで指示をいただきたい。私たちはそれに従って診療するのみなので。二類のままでは一医師の診療方針は通らないので。
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