これは聖徳太子の言葉として伝えられているものである。 地位や名誉、財産、権力などを価値あるものとしている世間は「虚仮」、つまり虚しくて仮のもの。ただ仏のみが「真実」であるというものです。しかしながら、真面目に努力して学問を修めて、仕事をして、役職について、稼いで、家族を養っている人には、にわかには信じがたいかもしれません。
かくいう私も最近少し分かってきた程度です。
まっさらの状態で生まれてきた新生児でさえ、お腹が減ると泣き、母乳を求める。この時の人生の目的は食欲を満たすことか。成長して学校に行き、学問を修めるようになると、ご褒美を買い与え、ご褒美を求めて目の前の課題をこなす。この時の人生の目的はご褒美をもらうことか。これでは欲求の連鎖から離れられない。
将来の夢は?と聞かれ、夢を叶えることが目標になり、欲求になる。努力すれば夢は叶うと励まされ、努力して勝ち得た先は、指導者になり後進を育てる。一見立派ではあるが、これも欲求の連鎖である。
人間の本能がそうさせているのか、遺伝子がそうさせているのか。生体内反応は化学反応の連鎖であるから、結局は我々の体は連鎖反応から離れられない構造になっているのかもしれない。
唯一、他人の為に尽くすこと、忘己利他、この行動だけは外向きのエネルギーかもしれない。良いものを出せば自分の周囲が輝き、悪いものを出せば生きづらくなる。でもこれしか周りを明るく照らす方法はない。この行動こそ「一隅を照らす」だと私は学生時代に習った。ただその活力源は何なのか?その根本がないとその燈はいずれ消えてしまう。
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