先日20歳になったある青年が受診に来てくれた。20年ぶりというわけではなく定期受診であったが、久々に滋賀弁で会話し、妙に懐かしかった。半年ごとの通院ではあるが、滋賀から毎回車で高速道路を使って受診に来てくれる。運転免許を取るまでは両親と、運転免許を取ってからは本人が運転して、と思いきや、今回運転席に居たのはお父さんであった。
20年前私は滋賀医大にいた。ちょうど東京研修から帰ってきて、滋賀医大で発生した小児外科症例は全て私が執刀していた。ある時、生後1日で救急搬送されてきた新生児を小腸閉鎖症、腸穿孔と診断し、緊急手術を行い、一旦救命したのだが、その後の再手術で縫合した小腸が破裂、再々手術となり、深夜4時に人工肛門を作り命の危機を逃れた。実はそのまま私は京都府立医大へ異動となったので、後日1ヶ月遅れで転院搬送でその子を京都へ運んだ。その後しばらくして、いよいよ人工肛門を閉じるための再々々手術の時、私は当時の上司に「自分が自信を持って縫った腸が破裂しました。自分にはもう一度縫って成功する自信がありません。術者を代わってもらえませんか」と依頼した。ところが上司は「あほー!(関西ですから)これはお前の症例や、お前が助けないでどうするんや。今回は絶対に漏れないから、縫え。俺が保証する。」と叱咤した。結果は、術後3日でお尻から便が出てきた。大成功。あの感動は忘れられない。
彼はわりとイケメンで会うたびに一緒に写真を撮ってみんなに自慢してた。この子はきっとジャニーズに行くよ、って。でもお腹に傷が二本ある。なんせ4回手術したのですから。その傷を見るたびに彼に言う。「この傷治さないか?僕に治させくれへん?ジャニーズに入ったらお腹ださなあかんし」と。でも彼はいつも「僕はもう手術はしません。ジャニーズにも行きません」と。
今回20歳になった彼と並んでみた。実は彼は私より少し背が低い。これではジャニーズに入れないなと思うと同時に、あの再手術がなければもっと背が高かったのかなと反省した。
最後に駐車場で待つ両親にご挨拶に上がった。「遠くても嶋寺先生ところに行くって言うんですよ」というお母さんの話し方は、20年前と同じだった。この両親に20年前命の危機の話をしたことを思い出した。でも、この一例に救われたのは本当は私自身であった。
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