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診察室でマスクを取る礼儀

  • 執筆者の写真: Shinichi Shimadera
    Shinichi Shimadera
  • 2021年9月19日
  • 読了時間: 0分

今や日常的にマスクを付けるのが当たり前になって来たが、高齢者を診察する時によく遭遇するのが、待合室まではマスク着用されているのに、診察室に入って来られて、荷物を置くと同時にマスクを外してお話を始められることがある。マスクはそのままでお願いしますと申し上げるのですが、人に話す時はマスクを外すのが礼儀という理解でしょうか、それともマスクを着けたままでは話しにくいのでしょうか。話す時こそマスク、特に耳の遠い方は声が大きくなるからなおさらマスク、という時代になって来た。行動変容は歳とともに適応し難いこともあろうが、マスクは感染症から自分を守るためのものという認識から、他人にうつさないためのものという認識に変わって来た。我が為ではなく、他人の為、である。

童謡「コンコンクシャンのうた」では、症状があるからマスクとなっているが、今や無症状でもマスクに変わってきた。目に見えないものへの認識、配慮が変わりつつあるのかもしれない。

人間は自分のエゴの為に日々何かの犠牲の上に生きている。食物連鎖の頂点で生きていくために生き物を犠牲にして食事をする。車を運転する為に平気でガソリンを消費し、平気で二酸化炭素を排出している。そのせいで温暖化が進み、異常気象、天変地異が起きても自分のせいだとは気づきにくい。実は一日の中で他人の利益のためにしていることはほとんどない。その中でせめて仕事だけは人の為になしたい。しかも大きな夢を持って。


少年よ大志を抱け

お金の為ではなく

私欲のためでもなく

名声という空虚な志の為でもなく

人は如何にあるべきか

その道を全うする為に大志を抱け


時には商売の為に、保身のために、二枚舌も悪知恵も働くであろう。それでも、人を殺めたり、騙したりすることはどんな状況でも許されない。自分が発した言霊に今度は自分がしっぺ返しを食い、ラビリンスから抜け出せなくなる。


「実直に生きる」このことを目標に生きていきたい。

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