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私が医師になった訳

執筆者の写真: Shinichi ShimaderaShinichi Shimadera

更新日:2023年11月22日

私には10歳までの記憶があまりない。小学生の頃は背は小さくどちらかと言えば目立たない存在だった。いつの時代にも居るボス的な存在に付き従い、守ってもらったり、ハミゴ(仲間はずれ)にされたり、テストで良い点を取ると足を引っ張られたり。小学校の時は一通りの辛酸を味わってきた気がする。そんな中で少し勉強が得意で、人に教えるのが好きだったにも関わらず、小学校5年生の時に受けた近くの学習塾主催の模試の成績が非常に悪く、母親がいたくショックを受けた。そこから母親は一念発起して私に参考書を買い与え、日々勉強を教えてくれた。そのお陰か、中学受験で近くの私学にどうやらトップ成績で入ったようで、入学式に校章貸与という代表に選ばれた。母親は数学が得意で中学3年生まで教えてくれたが、高校に入ってからは一切を放棄し、大海原に放たれた気分で、成績は急下降した。私が入った高校は県内トップクラスの公立進学校ではあるが、教師が勉強を教えない学校として有名であった。周りは県下の中学校のトップ10が寄り集まっていたこともあり、ほっといても勉強するのが当たり前であった。分からないところがあれば、聞けば教えてくれるが、あまり馬鹿な質問をすると自分の大切な時間を割くなとという怪訝な表情で見れらたことは今でも覚えている。実はその高校はかつて父が17年間教鞭を取っていた学校でもあり、「嶋寺」の姓は超有名であったから私は入学当初から様々な場面で肩を叩かれ、荷が大変重かった。母の出身校でもあったので、全ての先生が父の同僚か教え子か母の恩師であったから成績が急降下した時は顔から火が出るほど恥ずかしかったが、それがきっかけとなりコツコツと毎日努力をするようになった。

高校1年の終わり頃、ひょんなことから中学時代からの先輩に「お前は医者になれ」と言われた。家に帰って両親にそのことを話したら腰を抜かして、それから何冊か父は医学部を目指すための本を買って読み漁っていたのを覚えている。私が入学する直前までその高校で進路指導課に居た父は、どういう生徒が医学部に入ったのか、失敗したのかを覚えていて、それと私を照らし合わせたのだろう。そこから察するに、当時の私の成績はきっと医学部合格には程遠かったのだろう。

成績のことはさておき、私がなぜ本格的に医師を目指したのかだが、今から思えばどうやら私は生命というものに興味があった気がする。理科が好きで「理科は理由を考える科目」だと教わり、高校では生物実習でやったカエルの解剖が非常に綺麗にできて、教科書通りだったことに感動したのを覚えている。また家族の中で自分だけが蕎麦とエビにアレルギーがあり、病気についてもっと深く知りたい気持ちがあったようにも思う。そんな中で「医者になれ」と言われたことが自分にはちょうどはまったのかも知れない。

もちろん医者を目指したところで、そう簡単にはなれるものではないが、その後の話はまた次回に。ともかくきっかけはそんな感じだった。

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