「生類憐みの令」を考える
- Shinichi Shimadera

- 5月31日
- 読了時間: 2分
バイトとはいえ見ず知らずの初対面の人の命を奪う、そんな闇が日本中を震撼させる出来事が後を絶たない。殺生は人間の性(さが)なのか。
人間は毎日殺生をする。食物連鎖の頂点にいるから生物学的には仕方のないことかも知れないが、はたと気が付けば人間は悪事ばかり働いていることになる。医療で人助けをする傍らで三食殺生し、自分の命を繋いでいる。そんな自分を時に責める。
世の中は善悪で出来ている。仕事が善なら丁度いいが、仕事が愚痴だらけだと、仕事も悪、食べても悪で良いことは一切なくなってしまう。もちろん人間生きてる限り悪事ばかり働くと言ってしまえばそれまでだが。
虫が出れば虫退治、そうでないと刺されて腫れて、アナフィラキシーを起こせば命を奪われかねない地獄を見る。やはり万物の霊長の人間も弱肉強食の中にいるのか。
退治した虫が亡き父母や祖父母の来世の姿かも知れない。心配して寄って来ただけなのに、自分はそんなこと気に留めず、退治。それでいいのだろうか。亡き血縁者が虫に生まれ変わってる確証がないといえばそれまでだが、質量保存の法則からは亡くなった命はどこかでまた次の生を受ける。生まれ変わりがまた人間ならいい。それなら良い家庭に生まれてほしいが、そう上手くはいかない。きっと徳が足りないから。
徳って何だろう。自分のことよりも他人のこと。自分の命よりも他人の命。そう考えれば、「生類憐みの令」を発令した徳川綱吉は徳が高かったのかもしれない。
「生類憐れみの令」は、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉によって発令された、生き物の命を大切にすることを目的とした法令の総称。犬だけでなく、猫、鳥、虫(蚊やハエなど)から人間(捨て子や病人など)まで保護の対象とされ、違反者は厳しく処罰された。
ただ近年では、行き過ぎた側面はあったものの、当時は放置されていた乳幼児の遺棄や高齢者・病人の虐待を防ぐための「福祉政策」としての側面も再評価されている。
歴史を紐解けばお手本となるものは沢山ある。自分がそれに従えないだけ。見てみぬ振りをするのは結局自分。徳を積めるかどうかはそこにあるのかも知れない。

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